京都国立博物館特別展「京に生きる文化~茶の湯」2

後期展示に京都国立博物館蔵の建盞が出展されると知って、結局というかやっぱり、また「京に生きる文化~茶の湯」展に足を運んだ。
これぞ禾目天目という作品にお会いしなくては。

 

 

建盞(南宋時代 12-13世紀) 黒地にたくさんの禾目が流れて見える。引き締まった、きりっとした姿。私の中では「シュッとした」という表現がぴったりのお茶碗。
きっと光線の加減で、違ったきらめきが見えるのではないか。ケースに張り付かんばかりにして、斜め向こうから覗く。いっそう怪しい客となる。

 

同じ会場に出展されている「君台観左右帳記(くんたいかんそうちょうき)」(室町時代 東北大学附属図書館)では、座敷飾りの説明の部分が展開されていて、棚に置かれた器には建盞と書いてあるように見える。


中国から伝わった器が日本で伝世されていることに、いつも驚きを持ち、ありがたいことと思わずにはいられない。この展覧会の主旨である茶の湯の文化が日本で独自に発展して、現在まで生き続けていることのおかげで、貴重な唐物を鑑賞できるんだなぁ。

 

「夕陽(せきよう)」(元~明時代 14-15世紀)という銘を持つ灰被天目も素晴らしかった。金属、銅のような輝きを持つ部分が見え、灰被という言葉から想起されるイメージとは異なる。またもや茶碗の周りを回る、回る。

 

「白天目(はくてんもく)」(室町時代 16世紀 重要文化財 徳川美術館)これは日本で作られた、おだやかな優しい天目だなぁ。白い肌に貫入が入り、釉が見込に溜まって、透き通った緑色に見える。

 

 

前回、「卯花墻(うのはながき)」という志野茶碗(桃山時代 16-17世紀 国宝 三井記念美術館)を見て、とても魅力のある造形だと思った。心惹かれる理由はどこにあるのだろう。
今回は湯木美術館の志野茶碗、銘「広沢(ひろさわ)」(桃山時代 16-17世紀 重要文化財)も展示されていて、違いを見ることができる。
「広沢」はゆったりとしたかたちと、白い釉薬のなかに浮き上がる火色の風景が美しい。
「卯花墻」のほうは、いろ、かたち、質感の調和が素晴らしいのかな。
日本の茶陶に対して、自分が心惹かれる理由を明らかにして、言葉にするのは難しい。

 

朝鮮半島のお茶碗も、いいなぁと思う理由を言葉にしにくいが、小井戸茶碗 銘「六地蔵(ろくじぞう)」(朝鮮時代 16世紀 泉屋博古館東京)については、書き留めておこう。釉色とその変化がとてもきれいで、かたちがこぶりにまとまっていて、可愛らしい。

 

幅広いお茶にまつわる美術品の中で、やきものばかりに絞って鑑賞させてもらった。
とりわけさまざまな天目茶碗に触れることができて、得がたい体験をした。

 

 

 

 

 

 

 

京都国立博物館 特別展「京(みやこ)に生きる文化~茶の湯」

私は作品鑑賞にひどく時間がかかる。大きな展覧会で行列になって歩くと後ろの人に迷惑だ。しかも集中力がすぐ切れるから、丁寧に見て回ると、途中で気力が尽きる。

京都国立博物館で開かれている特別展「京(みやこ)に生きる文化~茶の湯」では作品リストを見ただけでも目が回りそう。名立たる作品が目白押し。全部は到底見られない。どうしようかな。

 

 

そこで、作品から少し離れた場所に立ち、行列に隙間ができるのを待ち、主に興味あるやきものに絞って鑑賞。多くの名品を横目でスキップしたが、それでも最高の作品をいくつも拝見できた。
見始めると、しゃがむ、背伸びをする、のぞき込む、ガラスに鼻を付けそうになる。和服姿も多い上品な会場にあって、およそ似合わない怪しい客になる。知っている人には見られたくない。

 

出来ることなら、一点、一点心ゆくまで見たいが、そんな贅沢は言えない。作品名だけでも書き留めておこう。

 

唐時代邢州窯系の浅めの白磁碗。とても清潔な乳白色。帰ってから図録で確認すると、畳付きも真っ白だ。9世紀には、もうこんなにきれいな白磁が生産されていたんだ。あの定窯にもつながっているのだろうか。

 

禾目があらわれた建盞(南宋時代 12-13世紀)にも目が向く。やっぱり、端正な天目茶碗は佳いなぁ。気持ちが器に集中して心が落ち着く。
後期展示には、また別の建盞が展示されるらしい。きっと美術誌「天目~てのひらの宇宙」で紹介されていた禾目天目だねぇ。これも見たい。また来なくてはならないか?

 

国宝の玳玻天目(南宋時代 12-13世紀 相国寺)は技巧の力がデザインを際立たせているみたい。存在感があって、見逃すんじゃないと言われたように感じた。

 

北宋第8代皇帝徽宗の作と伝えられる国宝「桃鳩図」にお会いできるとは!
芸術を愛したことで有名な皇帝ゆかりの名画が日本に今日まで伝えられていることに感銘を受ける。
この絵は、小さいころ読んでいた子供向けの文学全集の表紙のひとつだったから何だか懐かしい(世界の名画がカバーに印刷されていた)。

 

名品が続く。綺羅星のごとく、だね。
龍光院の油滴天目(南宋時代 12-13世紀 重要文化財) 小ぶりの器面を、びっしりと斑文が覆っている。本当にどうやって作られたのだろう、と思わずにはいられない。

 

「馬蝗絆(ばこうはん)」という銘を持つ有名な青磁茶碗(南宋時代 13世紀 重要文化財 東京国立博物館)澄んだ清らかな青磁の色に見とれてしまう。優しい姿で、鎹も可愛い。

 

MIHO MUSEUMの耀変天目(南宋時代 12-13世紀 重要文化財)は内外に虹色の斑文が広がっていて、星空のように美しい。胴部を見たくて、しゃがみながら、茶碗の周囲を回る、回る。膝が悪いと見られないね。

 

大きな黒い花入れに目がとまる。古銅下蕪耳付花入 銘「青海波」(明時代)まろやかな艶やかな輝きを放っている。古銅とは品格があるものだな。

 

さて、最後に青磁鳳凰耳花入の揃い踏み(と書くと、東洋陶磁美術館の作品も登場してほしいが)について記録しておこう。
2点の青磁鳳凰耳花入れ 銘「万聲」(南宋時代 13世紀 国宝 和泉市久保惣記念美術館)と銘「千聲」(南宋時代 13世紀 重要文化財 陽明文庫)が並べて展示されている。「万聲」はかなり大きな作品だ。「千聲」は貫入がはいっているところが特徴。このケースだけでも見応え充分。「万聲」についてはかねてより見に行きたいと思っていたので、幸運だ。

 

和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアムからの引用

青磁 鳳凰耳花生 銘「万声」和泉市久保惣記念美術館

 

こんなつまみ食いみたいな見方でも、すっかりくたびれてしまった。我ながら、ちょっと軟弱すぎる。
素晴らしいのは間違いない。後期展示には行こうかなぁ、どうしようかなぁ……

 

 

 

 

 

 

奈良国立博物館青銅器館(坂本コレクション)を訪ねる

お天気が良い。ちょっと遠出して、青銅器を見に行こう。これも見納め。

奈良国立博物館のあたりは、いつも賑やかだ。ぼうっとして歩いていると、ヒトかシカにぶつかるか、シカの落とし物を踏んづける。近鉄奈良駅からの一本道を歩くのは勇気が要る。正倉院展が始まると、もっとざわめくのだろう。

 

 

奈良国立博物館の仏像館から青銅器館を訪ねる。
仏像には、実にいろいろなお顔があるものだ、仏像の世界にはまったら底なしだろうな、四天王像は現代的に見ても格好いい、などと勝手に思い散らしながら、金剛力士立像と走っている大国様を撮影させてもらって通過した。

 

 

青銅器館(坂本コレクション)にたどり着くと、何と撮影可の嬉しいお知らせが!

本当に撮ってもいいんだね。これで思い出をしっかり持って帰ることができる。
前回、なんて不思議できれいなものだろうと思った宇宙船のような大きな卣(ゆう)と大眉の簋(き)を、もう一度見ておきたかった。

 

お目当ての「鳳凰文卣」(商末周初期 卣は提げ手のついた酒つぼのこと)

 

なぜこんな飾りがついているのか、不思議でならない。
作られた当時は、あちこちから突き出た鰭飾りが光り輝いていたことだろう。特別な意味を持つ器だったのかもしれない。

 

大眉の簋(大眉饕餮文簋 西周前期)は記憶のとおり、保存状態がとても良く、端正な柄向きが本当に美しい。人の顔のようにも見えて、しゃべり始めそうである。簋は穀物を盛る器だそうだ。

 

 

展示室は青銅器の形によって分けられ展示されている。器の形は、時代による流行り廃れがあるもののようだ。
爵(しゃく)と卣と鼎(てい)と簋の形は何となく覚えたね。

 

 

蒜頭壺(さんとうこ) こんな形のやきものもあるなぁ。

扁壺 この作品では曲線の中に獣のような姿が配されており、独特な世界観が表現されている。

 

金文を紹介している展示ケースもあって、貴重な考古資料に触れることができた。

 

富と権威の象徴とか、色々な祭礼に使われたとか、歴史を考えるのも楽しいが、数千年の年月のおかげで欲望の生臭みが抜けて、純粋に造形の面白さ、美しさを鑑賞できるのも楽しい。重々しく厳かであるべきデザインが妙に可愛らしかったりするのも魅力だ。

 

 

青銅器は遥か昔に作られたとは思えないほどゴージャスで、当時の技術が非常に高かったのだと思われる。しかも、饕餮文に代表されるような神秘の文様の力によって、目と心が引き寄せられる。
今日はゆっくり鑑賞でき、撮影もさせてもらってよかったなぁ。
さて、帰りも気を付けて歩かなければ

 



 

 

 

 

 

 

 

「大阪市立東洋陶磁美術館と中国文物展」日中国交正常化50周年記念講演会

休館中の東洋陶磁美術館が「日中国交正常化50周年記念講演会 大阪市立東洋陶磁美術館と中国文物展」をYouTubeで配信している。


その中で小林仁先生が「皇帝の磁器~新発見の景徳鎮官窯」という展覧会の図録について、やきものを学ぶ人の教科書だというような表現をされたので、みちくさ書店という古本屋さんから送ってもらった(とても良い保存状態)。


官窯製品を中心とした景徳鎮出土品の展覧会というだけあって、発掘・修復した作品・製作途中の半製品といえども、技術の粋を集めた最高級のやきものばかりだと思った。
解説も論文も詳細で、展覧会の図録というには専門的。とにかくちょっとすごいな。本当に教科書だ。
近頃手にする図録は、少し物足りないことも多いのだが、研究的に傾くと、今度は辛くなる。読み手は勝手なものだ。

 

青花 蓮池漁藻文壺 元時代 景徳鎮窯 重要文化財 東洋陶磁美術館蔵

 

講演会の中では、趙鴎先生、小林仁先生とも過去に開かれた素晴らしい展覧会の概要を話してくださった。それらの展覧会を見てみたかったという思いが湧きあがる。
二玄社の「耀州窯瓷」で目にしたあの耀州窯の水注(倒置壺)が日本に来ていたのか……

 

青磁刻花 牡丹唐草文瓶 北宋時代 耀州窯 重要文化財 東洋陶磁美術館蔵

 

窯址からの発掘品をもとにした展示ケースの写真も興味深く拝見した。
しかし、実際展覧会を見に行けたとしても、当時深く理解できたとは思えない。
その中でただ一つだけ訪れた「定窯~優雅なる白の世界」展にしても、印象に残ってはいるが、今思えばもっとしっかり鑑賞しておくのだったと、(図録も買ってないし)悔やまれる。

 

白磁刻花 蓮花文洗 北宋時代 定窯 重要文化財 東洋陶磁美術館蔵


やっと展覧会を味わうことができるようになったところでお別れというのは、まことに鈍い私らしい。もっと早く自分の趣味に目覚めておればよかった。恨めし気に美術館サイトの「過去の展覧会」ページを眺めている。

 

ものを見るということに、もともと鑑賞眼のある人はよいが、私の場合は、練習が必要である。何度か同じような作品を眺め、図録を読み、講演会の機会があれば拝聴し、多少歴史などの周辺知識を取り込んで、やっと気がつかなかった美しさや余韻を楽しめる。経験を通して、自分の好みの偏りがわかるし、好みでない作品であっても、良さがわかるようになる。
美術館や学芸員さんの働きかけ・意図を、十全に受け取ることはまだまだであろうが、以前よりマシである。

 

「鑑賞する」という受け身の行為に見えることも、何度も作品を鑑賞し、作品に関する知識を学習することで、その質を変えられると分かったことは収穫だ。

学習することにょって、偏見のフィルターがかかる、先入観を持つ、見もしないでわかったつもりになるなどの恐れもあるが、それよりも積極的に学ぶことで、味わう力が増し、楽しみを深めることができると思う。

 

釉裏紅 牡丹文盤 明時代 景徳鎮窯 東洋陶磁美術館蔵

 

 

 

 

 

和泉市久保惣記念美術館特別展「玉石の美~人びとを魅了した石の工芸」

美術館が用意した期間限定シャトルバスに乗せてもらって、3年ぶりに和泉市久保惣記念美術館を訪ねた。
前回も「玉」をテーマにした展覧会だったな、広い敷地建物と見事なお庭、古代中国の石造棺床の展示に驚いた思いがある。このたびは、日本の勾玉も見られるらしい。

 


第1室には、中国古代、新石器時代からの装身具や祭祀に用いられたであろうさまざまな玉が展示されていた。
古代の人々が愛した装身具はとても興味が持てるし、自分も欲しいと思ってしまう。
玉玦(けつ C字形の耳輪)、玉環、玉釧(くしろ 腕輪)、玉飾など いずれも丁寧に磨かれ、均整のとれた形をして、いまだにやわらかな輝きを保っているものもある。

 

玉獣面文琮(そう 新石器時代)、玉斜線文簋(き 商時代)、玉穀粒文璧(前漢時代)など、遥かに遠い古代の神秘に触れることができる。まさに宝物だ。

死者の口に含ませる玉蝉(前漢時代 個人蔵)や手に握らせる玉豚(後漢時代 個人蔵)も印象深かった。

 

和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアムからの引用

左 玉獣面文琮 中央 玉斜線文簋 右 玉穀粒文璧(すべて和泉市久保惣記念美術館蔵)

 

数ある装身具のなかでも、とりわけ佩玉には以前から関心があった。とても精緻な細工がなされてきれいなものだが、どうやって身体につけたのか。中国の時代劇?の画像を見ると、帯から下げているようだ。ちょっと重そうではある。
玉龍形佩・虺形佩(戦国時代 個人蔵)S字型の魅力的なデザインだ。精巧な技術によって切り出され、彫りあげられた作品は思わず手に取って撫でてみたくなる。

 

こちらは2019年東洋陶磁美術館開催「文房四宝」展会場で撮影

龍冠鳳凰佩玉 商時代後期

 

第2室では、日本の勾玉、大珠というものをたくさん見ることができた。
和泉黄金塚古墳出土の勾玉、水晶の作品もあり、貴重な文化財に出会えた。
勾玉ってずいぶんきれいなものだな。そのすっきりとした形とヒスイをはじめとした色あいの美しさを初めて知った。

 

玉は中国で長い間愛され続けているとのこと。第3のテーマで展示されている作品はアクセサリーや置物、鼻煙壺、印石、盆石、硯と、多種多様で石を素材とする工芸芸術の幅広さがわかる。
なかでも玉葵花透彫筆洗(明時代 徳川美術館蔵)という作品の、超絶技巧が生んだ優雅な牡丹唐草文の造形には見とれた。

 

美しい自然の石を見つけて、きっと気の遠くなるほど長い時間をかけて、彫ったり、磨いたりして、作り上げられたもの。神事に用いたのか、ステータスシンボルだったのか。玉には人の願いが込められた芸術の根源みたいなものが感じられる。


貴重な展示に感謝したい。図録はわかりやすく、価格も入手しやすかった。

 

 

 

 

 

 

湯木美術館「茶の湯の絵画と絵のある茶道具」

8月のお盆休みに、東洋陶磁美術館のオープンデータの画像を使わせてもらって、加彩婦女俑がプリントされたトートバッグをカメラのキタムラさんにお願いした。
画像をアップするときは、tiffjpegに変換するにはどうする、とか考えつつ、もうあの作品には会えないな、8月に平常展が見られないのはつらい、いやもう来年からは東洋美術に触れる機会がほとんどないぞ、雑念いっぱい、未練いっぱい。
大阪を離れることの痛みがじわりと心に広がる。
人生はそんなもんだなぁ。お別れを味わっていくしかない。

 

鬱々としないで、今日は出かけましょう。
茶の湯の絵画と絵のある茶道具」湯木美術館の令和4年秋季展が始まった。
若い時、展覧会というと西洋絵画ばかり見ていたような気がする。しかし、このごろは絵ばかりの展覧会はどうも足が向かない。やきものや、工芸品を見るのは理屈抜きで楽しい。
自然の力や人々の業と思いが現出させた物の美しさに感嘆し、魅了される。しかし絵画はそう単純ではない。
湯木美術館なら、絵画がテーマであっても、お道具を見せてもらえるから、行ってみよう。

 

 

ほら、やっぱり、よかった。素晴らしい高蒔絵の棗が2点、赤楽茶碗が1点。最初のケースから迎えてくれる。その傍らに紅葉と鹿の掛け軸。小さい画面なのに、鹿が鳴く秋の山に誘ってくれる。表装の布の響きあいを見るのもよいねぇ。

「鹿絵賛」(小堀遠州 江戸時代17世紀)「住吉蒔絵平棗」(山本春正 江戸時代17世紀)「菊蒔絵大棗」(原洋遊斎 江戸時代19世紀)「赤茶碗」(如心斎絵 左入作 江戸時代18世紀)


仁阿弥道八の「銹絵雪竹文手鉢」はデザインも大胆だけれど、みずみずしい色調にはっとさせられる。同じ作者の「銹絵染付楓之絵鉢さびえそめつけかえでのえはち」も印象に残った作品。銹絵と染付で描かれた重なり合う楓の葉の上に、霜のようにうっすらと白釉がかかっている。きれいだ。(江戸時代19世紀)

 

「浮御堂絵賛うきみどうえさん」(千宗旦 江戸時代17世紀)わずかな筆数であっさりと描かれた(ある種のマンガみたいな)浮御堂なのに、琵琶湖の波風が伝わってくる。面白いねぇ。表装によって仕切られた画面から別世界が広がる。


「古染付山水文芋頭水指」(明時代17世紀)ずんぐりとしたかたちの器に余白を広くとって染付の模様が描かれている。ちょっと地味目で落ち着いているところに惹かれる。


絵画もやきものも、漆器も、いつもながら最高のコレクションを見せていただいて、心がすっきりとした。
前後期で入替があるので、また訪ねたい。

 

 

トートバッグが出来てきた。以前に耀州窯の瓶をプリントしたものと並べて飾る。作品の面影を毎日感じていたい。

 

 

 

 

大和文華館「東アジアの動物~やきものと漆」その2

和文華館のやきものと漆の作品が100点近く鑑賞できる「東アジアの動物」展 つづき

吉祥の動物①魚
「白地黒花鯰文枕」(北宋~金時代 磁州窯)磁州窯の陶枕というのは、色んな図柄があるものだ。如意頭形の器面に鯰が飄々と泳いでいる。世の中をこんな風に(年年如意)泳げたらよいけど。

 

「三彩印花魚文長盤」(遼時代 缸瓦窯)遼の楕円稜花型のおしゃれなお皿は何度か展覧会や図録でお目にかかったことがある。明るいマリーゴールドの花の色をした牡丹の図柄だった。このお皿は魚たちが緑釉の中に浮かんでいる。どんな料理やお菓子が盛られていたのかな。遼のやきものをもっと見たいものだ。定窯とはどんな関係だったのだろう。

 

螺鈿魚文盆」(朝鮮時代)とても薄くはかなげで、軽そうに見える螺鈿細工の盆。殊に透き通りそうな大きめの魚の表現が印象に残る。

 

吉祥の動物②鹿
「沃懸地青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒(いかけじあおかいかながいまきえぐんろくもんふえづつ)」(重要文化財 江戸時代前期 伝本阿弥光悦作)
漆の手法なのだろうか?とても洗練されたデザインで神聖な鹿のさまざまな姿が表現されている。とにかくきれい!秘宝だ。鑑賞できて幸運。

 

「灰陶加彩誕馬」(南北朝時代) 「灰陶加彩駱駝」(南北朝時代)この二つの作品は馬と駱駝の姿が非常に活き活きとしている。凝った鞍飾りからは当時の風俗が垣間見えて面白い。

 

吉祥の動物③鳥
「色絵鳥文鉢」(江戸時代後期 賀集珉平作 淡路)なめらかなクリーム色の素地に鮮やかな色彩の大きな鳥と柘榴が描かれている。独特の雰囲気を持ったやきものだ。

 

「五彩花鳥文小壺」(明時代後期 大明萬暦年製銘 景徳鎮窯)カラフルで図柄も軽快なかわいらしい壺。陶磁器の技術が極まった感じだ。

 

「五彩花鳥文大鉢」(清時代前期 景徳鎮窯)さらにゴージャスな作品だ。花・鳥・植物などが窓に分かれて、華やかに精緻に、みっちりと描きこまれている。これほど色と模様が溢れていても、けばけばしい感じにならないのは、色のバランスが絶妙だからかなぁ。

 

多色使いの絵付けの陶磁器は、とても美しいと思うのだけれど、私はどういうわけか、絵付けではなくて、ただ釉がかかっているものに、より心惹かれる。
飾りは彫りとか、印花が好きだ。そのような陶磁器の肌の世界に、没入して眺めてしまう。

ここであの青磁九龍浄瓶に戻ってみると、

2018年 東洋陶磁美術館 「高麗青磁~ヒスイのきらめき」展にて撮影


瓶の胴部に龍身が彫り出されている。そのうえに、貫入がはいって、宝石で作られたもののように美しく見える。数々の名品が並ぶ会場であるが、やはりこの浄瓶に思いが戻っていくのだ。

 

周囲の状況が日々、今までになく厳しくなる中で、このように美しいものに触れられることに感謝しよう。