仕事を辞めて、部屋を引き払う。母親から「どちら様ですか?」と言われる前に帰らなあかんと思っていたが、間に合わないかもしれない。恐ろしいほど老衰の症状が進む。
やることリストは意外にも多く、気ばかりあせる。
そんな中、これで最後と思って大和文華館を訪ねる。
しばらく東洋美術に触れることはないだろう。
沈鬱な気持ちを抱えながら、庭園を歩くと、随分春めいていて、気分が明るくなる。
後で、梅園を見てみよう。
「隠逸の山水」か。隠逸というと、中国の知識人の理想かなと思うが、この展覧会では、隠逸のテーマにふさわしい日本の作品が展示されている。
中国の文化、技術を真剣に学び受け入れた室町時代から、多様な表現が生まれた江戸時代にかけての山水画が中心だ。
屏風の作品がいくつも展示されている。その前に立てば、画面の世界に入り込めるようだ。
かぐわしい森の空気、清い水の音、吹き渡る風、ひとり深い山に分け入ったような心境になる。
満ち足りた静寂が存在している。
展示室の中に違う空間が大きく開けている。これこそ絵画の魅力だなぁ。
その空間に飛び込んで、静かに澄んだ水面を眺め、心穏やかに過ごしたい。
屏風の前にぼうっと座って、いっときだけでも、いらいらとした心を鎮めた。
帰る前に、咲き始めた梅に見とれて、春を楽しむ。
東京の泉屋博古館では東洋陶磁美術館の名品が展示されているらしい。
会いたくても会えない人を想うようだ。いつかまたあの作品たちに会いたい。
ため息を押し殺して、大阪を後にする。