大和文華館「東アジア文人の肖像」書画と文房具

年末から突発的にめまいが起こる。MOCO(東洋陶磁美術館)が長期休館にはいった。何かと気が滅入る…低空飛行だ。

和文華館にもう一度行くつもりだったが、めまいのせいで行けなかった。もう次の展覧会が始まって梅も咲き始めているよ。心の栄養をもらいに行こう。

 

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特別企画展「東アジア文人の肖像」~書画と文房具
これは何の展覧会かな。主に中国の文人の書画や、文人たちが愛したであろう文房具が見られて、知と美と静けさに包まれた憧れの空間、文人の書斎の雰囲気を味わえる。

 

おっ、金農さんだ。
昨年、大阪市立美術館で開かれた「揚州八怪」展で会わせてもらった八怪たちの作品がいくつもあるじゃない。


八怪のひとり汪士慎の墨梅図冊が広く展開されているのも、嬉しい。
紅梅白梅色とりどり(墨一色だけれど)、それぞれ表情の違う梅木や画賛を眺める。これだけでも値打ちがある。
その中の一枚にとりわけ魅了される。すらりと連れ添って伸びる梅と蘭 薄くはかない花びら 何と軽やかで繊細な筆遣い アメンボみたいにか細い落款もかわいい。

 

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これは「揚州八怪」展の売店で求めた汪士慎の絵はがき。上海博物館のシールが貼ってある。

 

「揚州八怪」展を見ていてよかった。作家の名前を知っているだけでも親しみが増す。
3年前の「文房四宝」展(東洋陶磁美術館開催)の体験も下地になっているなぁ。あのときは、たくさんの硯や墨、筆、印石などを見せてもらった。市立美術館のコレクション展も勉強になっている。だんだん馴染んでくる。ちょっと成長?

 

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その前を離れられないほど素晴らしい書の作品もあった「七絶詩」(文徴明筆 明時代)。
画賛の中で紙をほめているらしい?賞楓図(張風筆 清時代)は東洋の文人芸術のイメージにピッタリ。薄墨で最低限のタッチで大きな世界が描かれている。

 

ペーパーウエイトに使ったのかもしれない玉の装身具(佩玉)や璧のかけら?は、2,000年から3,000年前の色々な思いが詰まっているようで、ミステリアス。欲しいと思ってしまうほどだ。

 

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こういった文房具のコレクションを始めたら、はまってしまうんだろうな。お金がないので、そういう欲望は持たないようにしているが、いずれも細部の細部まで、意匠と技が込められている、あるいは自然が生み出した美が凝縮されている。集めだしたら止まらないだろう。

 

さて、暫し文人の理想空間に浸った後は、お庭の梅を眺めてから帰ることにしよう。

 

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大和文華館 特別企画展「日本のやきもの―縄文土器から近代京焼まで」

82点の作品によって、日本のやきものの歴史を大掴みに理解することができて、私にはありがたい展覧会だ。
日本のやきものの「始まり」といわれる縄文土器から超絶技巧の大正時代の作品まで、会場を一回りするだけで一気に堪能できる。

 

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「始まり」といっても決してレベルが低いわけではない。最高の芸術ではないかしら。
一番目の展示作品である高さ76センチの「縄文大壺」の迫力にまず驚かされた。野生の生き物のような力強さと神秘を感じさせる。縄文土器ってすごーい。
縄文時代土偶も魅力的だなぁ。

縄文土器土偶→弥生の壺→土師器→須恵器…うん覚えたかな。
伝猿投山窯の山茶碗というのも珍しいものだねぇ。

 

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鎌倉・室町時代に進むと、六古窯のうち常滑丹波、越前、信楽の大型の壺が揃っていて、見事。
胴部がぱんと張りきっていて、その肌を自然釉が豪快に流れている。豊かで堂々としていて、思わず抱えてみたくなる。
その間に置かれた、少し小さめの伊賀の灰釉壺は、アイボリーの素地に山並みと太陽や雲の風景がみえるようで、風情のある作品だ。
金の覆輪がついている瀬戸窯の白天目茶碗さん(室町時代)は、形も肌も上品だなぁ。現代までに、どんなふうに伝わってきたのかと思う。

 

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桃山時代では美濃窯の志野や織部の様々なデザインの器が紹介されている。
面白くもあり、懐かしくもあり。古くから親しんできた器のようにも思える。

茶陶の展示の最期におかれた高取焼の流釉(ながれゆう)水指(江戸時代前期)という作品は薄づくりで、釉の変化がとても美しい作品だ。

さて、ここまでで、ちょうど会場の半分。半分でも十分満足してしまう。
体調を考えて無理は禁物だから今日はここまで。

もう一度訪ねられたら、つづきを書くことにしよう。
庭園の梅が咲き初めるのを見られるかもしれないなぁ。

 

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2022年正月

東洋陶磁美術館がしばらく休館になる。大事な場所に行けないのはちょっとつらい。

 

特別な展覧会がなくても、定期的に足を運んできた。
好きなやきものを静かに眺めると気持ちが落ち着く。器の肌をじっと眺めて、そこに広がる世界に自分が埋没してゆく感覚が好きだ。

 

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同じ作品たちを何度も何十回も見ているわけだが、そのたびに違う表情を見つけ、魅せられている。
一度さらっとうわべだけ見て、わかったつもりになって、次からはよく見ようとしないことはある。ところが、見過ごしていた作品が、違う機会に呼び掛けてくることもある。

 

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何度見ても飽きないのは、そのジャンルの作品としてはトップレベルのものばかりだからと素人ながら思う。ときどきスター作品ばかりでなくてもよいから、小品も見たいなと思うことはあるが。
普段は日の目を見ない収蔵品が展示されることがあると、ひそかに喜んでいた。

 

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展示空間としての居心地の良さが、何度も来館したくなる要素のひとつだ。
照明は穏やかな明るさで作品を照らしていて、見やすく快適だ。
展示室ごと、ケースごとの特徴による展示の工夫や変化が楽しい。
時折見える外の景色に目を休めたり、ロビーで一息ついたりすることもできる。

 

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ひとつの公共施設がお休みになるからといって、喪失感を感じるとは、我ながら奇妙なことに思える。でも、言葉にできないような感動や心の栄養をもらってきた。
楽しみにしていた特別展に初めて足を踏み入れるときのどきどき感は格別だった。
好きな展覧会の開催期間中は作品に会いに行けるという高揚感を味わった。
やきものに関連すること、中国の歴史なども少しずつ学ぶことができたね。
本当に心から感謝を!

 

美術館はいろいろと新しいことを試み、未来のかたちを模索しておられるようだ。

 

世の中の変化は大きくて、私は適応するのに四苦八苦している。
リニューアルした美術館にまた足を運ぶことができるように、なんとか生き延びて暮らしてゆかなければと思う。

 

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中之島香雪美術館 企画展「中国の漆器」

なんだかくたびれて、休みの日に起きられない。耳鳴りとめまいがするよ。年だね。

ちょっとキラキラピカピカするものを見たら元気が出るかもしれない。
肥後橋中之島香雪美術館へ、「中国の漆器」企画展を訪ねる。

 

最初に「彫漆(ちょうしつ)」という漆器の技法が紹介されている。
何層も漆を塗り重ねたうえで、文様を彫り込む。最も上に現れた層が赤色のものを「堆朱(ついしゅ)」、黒色のものを「堆黒(ついこく)」というのだそうだ。
堆朱みたいな家具、置物はときどき目にすることがあるかな。

 

分厚い漆の層のうえに、自在に展開される彫りに目を見張る。
華やかな堆朱の作品は手に取ってみたい。
牡丹文の香合、屈輪文(ぐりもん)の天目台、椿牡丹文の軸筆…光沢が柔らかいから、華やかながら、派手とは違うなぁ。

 

堆黒の盆2点 今までに見たことのないような漆の黒に心ときめく。
「梔子尾長鳥文(くちなしおながどりもん)堆黒盆」(元時代 14世紀 個人蔵)クチナシの花の中に流れるような鳥の姿が浮かび上がっている。生き生きと動きがあって、伸びやかな彫りに見飽きない。

 

「蓮池水禽文(れんちすいきんもん)堆黒盆」(明時代 15~16世紀 個人蔵)
蓮華、鴛鴦、牡丹、菊などの縁起が良く美しい文様が堂々と見事に、しかも繊細に彫り描き出されている大型の作品だ。

 

螺鈿(らでん)や存星(ぞんせい)など、さまざまな技法による宝物が次々と登場する。
精緻、稠密、重厚、豪華、これでもかというほどの超絶技巧に作品全体が覆われている。すごいねぇ。

 

でも、あっさりとしたものもよい。
「無文(むもん)漆器
飾りが抑えられて、色やかたちをゆったりと味わえる。

 

元時代の黒漆稜花(くろうるしりょうか)盆はかたちも色も定窯の陶磁器を思わせる。
南宋時代の黒漆の天目台はつやつやとして、非常に薄づくりの整った姿。


「朱漆黄蜀葵形盆(しゅうるしおうしょっきがたぼん)」(明時代 16~17世紀)
トロロアオイの形をした盆 優美な花びらの曲面に、漆の朱赤が調和した素晴らしいデザイン。後で図録を見たら、背面に咢がかたどってある。魅力的な作品だ。

 

多彩な技法、多様な表情、漆の世界もまた奥深く心惹かれるものだなぁ。堪能しました。
心の栄養をいただいたから、あと今一息、今年を乗り越えよう。

 

こちらは東洋陶磁美術館蔵の作品

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左)青磁陽刻菊花文輪花形碗 高麗時代 12世紀 碗の形は黄蜀葵の花をデザインしている
(右)青花黄蜀葵文碗 明時代 15世紀

 

 

 

 

 

 

大和文華館 特別企画展「雪村とその時代」

ずっと以前に呂同賓図(りょどうひんず)と思われるポスターを見かけたことがある。その時私はよく確かめもせず劇画か漫画の一場面かと思ってしまった。
衣を大きくはためかせ、のけぞるぐらいに天を仰ぐ男の姿。奇怪な絵だと思った。しかし、記憶に引っかかっていた。
あの絵はいったい何だろう。一度この目で見ておかねば。
お庭がとても美しい大和文華館へ向かった。

 

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400年以上前、室町時代に生きた禅宗の画僧、雪村周継という人が描いた中国の仙人の姿。
重要文化財!なんと、なるほど。ひとつ知ることができた。
実物を前にして、絵全体を鑑賞すると、「奇怪な」という印象は消えた。
龍の頭を踏んでいる仙人と空高く飛ぶ龍たちによってきっちり構成された絵画だ。

何が起こっているのだろう、と天上の世界へ空想を巡らす。ファンタジー映画を見ているようだ。

 

その隣にある3幅の掛け軸「琴高・群仙図(京都国立博物館蔵 重要文化財)」も仙人を描いている。中央の軸、さっそうと鯉に跨るのが琴高という仙人で、左右の軸からお弟子の仙人たちが彼を仰ぎ眺めている。風になびく衣の様子から爽快感が伝わってくる。仙人たちの表情もとても豊かで面白い。

 

さて、水墨画の屏風といったら、心落ち着く山水などを期待するものだが、「花鳥図屏風(重要文化財)」はちょっと違う印象を持った。
眺めていると画面に取り込まれてしまうようで、何か気持ちがざわざわする。花鳥風月をめでるという感じではない。何といってよいのか、画面が動的とでもいうか…

 

美術品に会って、何、何、これは何?と、言葉にならないざわざわ感を持つことがある。
心地が良くないけれど強烈に惹かれてしまうこともある。雪村さんはちょっと何だか、ざわざわするね。

 

400年以上前に、こんなに独自の力強い表現で個性的な世界が描かれているんだ。
また、ほんのちょっと自分の視野が広がった気がする。


添えられたキャプションの表現もユニークで、作品を鑑賞し、キャプションを読みながら楽しく会場をうろうろした(順路と書いてありますが戻ってうろうろしてしまう)。

 

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「加彩婦女俑」と「婦女形水注」

東洋陶磁美術館のコレクション展関連テーマ展示「加彩婦女俑に魅せられて」関連イベントとして動画が公開されている。動画を視聴すると、このたびの企画によって制作された作品と元の作品とを、もう一度比べて、確かめてみたくなる。

 

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加彩婦女俑 唐時代 8世紀

 

加彩婦女俑に会いにゆく。
何度も見ているはずだけれど、あらためて、あらためて、見る。
身体と衣装がつくるふくよかな曲線、愛らしいしぐさや表情
婦女俑の魅力はわかっていたつもり…でも、ほかに気が付いたことはある。
身体部分のボリュームの割合が良いのだなぁ。
大き目の髪型から裾にのぞく靴先(小林先生は雲頭履とおっしゃったな)まで、それほど頭でっかちにならずに、立ち姿の均整がとれている。
絶妙の造形だからこそ…何度も会いたくなる。
至高の文化財なのに、自分の身近なもののように愛おしい。

 

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この企画では、現代のクリエイターが新たに制作した作品に触れ、その作品の中に抽出された婦女俑のエッセンスに気づかされることによって、もとの作品を見つめなおすことができた。

これとは違うが、いつもと違うテーマの中で展示されることによって、作品の新たな魅力を知ることがある。
それは、大和文華館の「天之美禄 酒の美術」展で東洋陶磁美術館所蔵の婦女形水注を見たときのことだ。

 

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同じポーズをとる東京国立博物館蔵の五彩婦女形水注と2体並んで展示されていて、顔の表情や着物の柄、小さな足、などを見比べて、楽しむことができる。
華やかな衣装を身に着けた二人の女性がにこやかに踊っているようすから、それを手にした人々の酒を飲む喜びが伝わってくる。

 

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五彩金襴手 婦女形水注 明時代 16世紀

一緒に踊る相方がいて、今日はいっそう輝いていますね。

 

何度も見慣れている作品が、別の美術館に貸出されて、いつもとは違う並びの中にあると、新鮮味が出て、興味が湧いてくる。元の展示が悪いわけでなく、背景が違うと、作品の違う面が見えるし、その作品についてのストーリーが付け加えられて、愛着も増す。

 

さて、東洋陶磁美術館は来年の2月7日以降は改修工事のためしばらくお休みとのこと。
それまで館蔵品の新たな魅力を見出すべく、目を凝らしてみておこう。

 

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黒釉瓢形瓶 高麗時代 12-13世紀 東洋陶磁美術館蔵
和文華館では似た形で美しい黒釉葫芦瓶(朝鮮・高麗時代)を見ました。

 

 

 

 

 

「加彩婦女俑に魅せられて」関連イベント 第1回

東洋陶磁美術館の「加彩婦女俑に魅せられて」の関連イベント1回目が動画公開された。:オープニングレクチャー「加彩婦女俑の美」小林仁(大阪市立東洋陶磁美術館学芸課長代理)、アーティストトーク 若宮 隆志(彦十蒔絵プロデューサー)、対談 若宮 隆志×小林 仁

小林仁先生と若宮隆志先生のお話を視聴して、さまざまな思い(妄想)を巡らす。

 

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ある時代の流行というのはほかの時代の人から見れば奇異に感じることはあるだろう。それにしても唐時代の化粧法は面白い。頬というか顔側面をすっかり頬紅で覆っている。
口紅をおちょぼ口に描くのは今でもありか。
額の花鈿(かでん)や口元のつけぼくろなど、唐時代の人々も現代人と同様に、美を追求しているなぁ。

でも、レクチャーの中で紹介された呉守忠墓の女俑や醴泉坊窯址の女俑頭部の美しいお顔は、化粧(加彩)を施さないほうがよいのではと思ってしまう。
婦女俑をもとの色彩に戻したら、あれほど愛らしいだろうか?

 

また、7世紀から8世紀への女性の体型のスリム指向から豊満指向への変化はなぜ起こったのだろう?
穆泰墓(730年 開元18年)の女俑はそれほど痩せても太ってもいなかった。都の流行とか、地方色があるのかな。あの2017年に開かれた胡人俑展は、私にとっては身体が震えるほどの出会いだった。人を模った造形にはどうしても強く惹きつけられる。

 

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そして、宮女俑は何を手にしていたのか?
細い体つきに比べて、手ががっしりしていることに違和感があったが、あまり深く考えたことはなかった。本当に何を持って、何の動作をしているのだろう。

 

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婦女俑制作については、職人さんが夢に見るほど苦労なさったということだった。
その作品を楽しめるということは、古今の技術の粋を鑑賞できるということでもある。


制作動画を併せてみると、その手わざに目を見張る。
古色を出すために色を重ねて塗った上にヤスリかなんかをかけるのかな、と想像したが、そんなに簡単な話ではなかった。正確さと根気のいる作業をずっと積み上げたうえに美しさを作り上げておられる。


このお話を伺い、動画を拝見し、また新たな視点で作品に対面できると思う。
漆という素材は、どうやらとても広い可能性があるみたいだ。これからは漆の作品にも関心を持とう。

 

「鳥」はきっと、婦女俑の手に乗っていたのだろう。けれど「鳥」がいなくても、何か欠けている感じはしない。
周囲の思いをよそに、彼女はそれがどうしたのという風に、微笑んでいるんだろうなぁ。

 

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