「加彩婦女俑に魅せられて」関連イベント 第1回

東洋陶磁美術館の「加彩婦女俑に魅せられて」の関連イベント1回目が動画公開された。:オープニングレクチャー「加彩婦女俑の美」小林仁(大阪市立東洋陶磁美術館学芸課長代理)、アーティストトーク 若宮 隆志(彦十蒔絵プロデューサー)、対談 若宮 隆志×小林 仁

小林仁先生と若宮隆志先生のお話を視聴して、さまざまな思い(妄想)を巡らす。

 

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ある時代の流行というのはほかの時代の人から見れば奇異に感じることはあるだろう。それにしても唐時代の化粧法は面白い。頬というか顔側面をすっかり頬紅で覆っている。
口紅をおちょぼ口に描くのは今でもありか。
額の花鈿(かでん)や口元のつけぼくろなど、唐時代の人々も現代人と同様に、美を追求しているなぁ。

でも、レクチャーの中で紹介された呉守忠墓の女俑や醴泉坊窯址の女俑頭部の美しいお顔は、化粧(加彩)を施さないほうがよいのではと思ってしまう。
婦女俑をもとの色彩に戻したら、あれほど愛らしいだろうか?

 

また、7世紀から8世紀への女性の体型のスリム指向から豊満指向への変化はなぜ起こったのだろう?
穆泰墓(730年 開元18年)の女俑はそれほど痩せても太ってもいなかった。都の流行とか、地方色があるのかな。あの2017年に開かれた胡人俑展は、私にとっては身体が震えるほどの出会いだった。人を模った造形にはどうしても強く惹きつけられる。

 

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そして、宮女俑は何を手にしていたのか?
細い体つきに比べて、手ががっしりしていることに違和感があったが、あまり深く考えたことはなかった。本当に何を持って、何の動作をしているのだろう。

 

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婦女俑制作については、職人さんが夢に見るほど苦労なさったということだった。
その作品を楽しめるということは、古今の技術の粋を鑑賞できるということでもある。


制作動画を併せてみると、その手わざに目を見張る。
古色を出すために色を重ねて塗った上にヤスリかなんかをかけるのかな、と想像したが、そんなに簡単な話ではなかった。正確さと根気のいる作業をずっと積み上げたうえに美しさを作り上げておられる。


このお話を伺い、動画を拝見し、また新たな視点で作品に対面できると思う。
漆という素材は、どうやらとても広い可能性があるみたいだ。これからは漆の作品にも関心を持とう。

 

「鳥」はきっと、婦女俑の手に乗っていたのだろう。けれど「鳥」がいなくても、何か欠けている感じはしない。
周囲の思いをよそに、彼女はそれがどうしたのという風に、微笑んでいるんだろうなぁ。

 

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