大和文華館「明清の美―15~20世紀中国の美術」

どうも絵画を見ても、やきものを見るときほどわくわくできない。特に山水画は惹かれながらも楽しめない。わくわくしなくてもよいが、もう少し、自分の心に、静かに水墨山水を味わうような気持ちを育てたいものだ。


年末は勉強のつもりで、大和文華館特別企画展「明・清の美-15~20世紀中国の美術」を訪ねた。いくつか記録して、覚えておこう。

 

 

「山水図冊」(査士標 さしひょう 清時代 康煕12年 1673年 兵庫県立美術館蔵)
美しい書と穏やかな山並みの画が合わさって展示されている。画面に小さく人物が描きこまれている。筆遣いと墨の濃淡だけで、小さな紙面に広い世界が表現されているなぁ。

 

「冬景山水図」(陸治 りくち 明時代 16世紀)
ひび割れたような、積み上げられたような岩肌を持つ山が屹立している。見るからに寒そうな情景が伝わってくる。

 

水墨山水画では、木を描く技、水を描く技、雲を描く技、山を描く技など、それらの熟練した技のうえに、奥行きのある風景が築かれていると感じるのだが、

「山水長巻」(龔賢 きょうけん 清時代 17世紀 泉屋博古館蔵)
この作品はその部品のひとつひとつがとても小さい。物凄い数の小さな墨の点が集まって成り立っている。筆が走ったり、偶然ににじみが出たりということは認められなかったみたいだ。重量感がある。

 

 

「冬景山水図」(惲向 うんこう  明時代 17世紀)
やわらかくのびやかな筆致が気持ちよく感じられる。文人画とはこういう絵をいうのかな。
細長い紙面の上に限りのない世界を表現している。どうやって画面を構成するのだろう。実際の風景に関係なく、自由に画面を作っているのか、写生から再構成しているのだろうか。

 

「秋林罷釣図(しゅうりんひちょうず)」(徐枋 じょぼう 清時代 康煕30年 1691年)
これこそ水墨画の理想の世界を描いているように思える。遥かに見える山の姿、澄んだ水面に浮かぶ舟、枝を伸ばす樹々は紅葉しているかもしれない。

 

「山水図冊」(方士庶 ほうししょ 清時代 雍正6年 1728年)
淡い墨で描かれた繊細な画面。どこか夢の世界のようだ。このような山水画もあるんだなぁ。

 

「閑屋愁思図(かんおくしゅうしず)」(高其佩 こうきはい 清時代 18世紀)
静かに物思う秋の風景 絵の前に腰かけて鑑賞し、時間を共にする。
「指頭画(しとうが)」という指や爪を用いて描いた作品。
タッチや色彩がとても好きだ。タペストリーになったら、都会の室内にも似合うだろう。

 

 

山水画をゆっくり眺めて、画家の筆遣いを目で辿る。かすれた筆跡、大きく筆を動かしたり、どこまでも細密に描いたりしているところをめぐる。そうやって画面の世界に入り込めたら、何だか楽しめるようだ。

 

大阪市立美術館の「揚州八怪」展で勉強した作家の作品にも、いくつも出会い、経験が重なった。鑑賞の機会を増やすことはやはり大事だ。
これからは山水画の前を素通りしないだろう。