先週、また東洋陶磁美術館企画展「オブジェクト・ポートレイト」の館内をふらふらと歩いていたら、定窯の作品ばかりが並べられているケースに、同じく定窯で褐色の非常に薄づくりの碗が展示されていた。
本当に薄い。よくも今まで伝わってきたものだ。しかも個人蔵のものを鑑賞させていただき、ありがたい。
このように大きく開いたかたちの茶碗を見ると、いつも思うのだけれど、当時の人々はどのようなお茶をどのように飲んでいたのだろうと不思議に思う。
茶道どころか、コーヒーも味噌汁も大きめのマグカップですませてしまう粗雑な日常を過ごす身には、想像できない優雅な作法があるのだろうなぁ。
不安定にも見える碗のかたち
(左)白磁印花柘榴唐草文碗 定窯 金時代12-13世紀 直径20.5cm(イセコレクション展)
(右)青磁陽刻花弁文碗 高麗時代12世紀 直径17.6cm(高麗青磁展)
月白釉碗 鈞窯 金時代12-13世紀 直径19.5cm
これはかなりおおぶりで、「碗」というより「鉢」のかんじだ。
お茶なのかお酒なのか、はたまた固形物を飲食するのに用いたのか、当時の雅な生活を想像する。
先月の館長講演会で出川館長が古美術に対してどのような見方をしてもよい、現代に生きる人として自由に鑑賞してよいとおっしゃっていた。
勝手な見方しかできない私にとってはうれしいお言葉であるいっぽうで、大好きな陶磁器が生まれ使われた時代がどんなものだったのか知りたくなる。
学校では全然興味が持てなくて、漢字を読むのが苦痛であった歴史の本も、やきものの背景が知りたいという興味があると、面白く読めるから自分自身を意外に思う。
年を取ったということか。