大阪弁護士会館で開かれたイ・ビョンチャン博士記念公開講座を受講した。
私なんか聞いてもよいのかと思う専門的なレベルの講座だけれど、素人が学べる(しかも無料で)機会が開かれていることはありがたい。
汝窯と高麗青磁の新しい研究成果について拝聴することができ、私も以前よりは少し理解できるようになったと思う。
3人の先生の発表があった。
1 「汝窯の新発見とその影響」孫新民先生(河南省文物考古研究院 研究員、通訳は出光美術館 徳留大輔先生)
汝窯の窯址、宝豊県清凉寺村で、1987年から2016年まで14回にわたって考古学的発掘が行われた。その調査を率い、携わってきた孫新民先生による、発掘成果についての講演
汝窯の全体像が明らかにされつつあるんだねぇ。
宝豊県清凉寺では宋から長い時代にわたって青磁だけではなく、白磁、黒磁などいろいろ焼かれていて、北宋晩期に一部の窯(汝窯の中心的焼成区域)で御用汝窯磁器が生産されていたということなのかな。生産地として明代まで続いていたとは驚きだ。
2 「扶安郡柳川里3区域(12号青磁窯址一帯)の発掘調査の成果と意義」
韓貞華先生(扶安青瓷博物館 学芸士、通訳は東洋陶磁美術館 鄭銀珍先生)
高麗青磁の特に重要な産地であった窯址について、最新の発掘調査の結果を発表された。
窯の址はもちろん、建物址、木灰を集めた構造、オンドルの跡、落ちた瓦など、人々の活動を思い起こさせる発掘現場の映像に引き込まれる。
寒い時期での発掘作業とはどれだけ大変なことだろう。
3 「汝窯青磁と高麗青磁ー「大概相類」の背景」小林仁先生(東洋陶磁美術館 学芸課長代理)
高麗青磁は「宣和奉使高麗図経」の中で徐兢によって「越州古秘色、汝州新窯器、大概相類」とあらわされている。
汝窯と見まごうほどの高麗青磁がつくられた背景に、単なる器のコピーを製造したというのではなく、高麗王室が北宋宮廷用器の制度そのものを取り入れようとしたということを解き明かされた。
さらに、定窯白磁、汝窯青磁、南宋官窯、高麗青磁のなかに共通した形がみられるのは、宋代宮廷用器の規範が反映していると考えると不思議ではない、と
そうなると、宋代宮廷用器の規範、制度とはどんなものだったのか、さらに知りたくなりますねぇ。
帰ってから講座の余韻に浸っていると、NHKで「シルクロード謎の民~大峡谷に生きる」という番組があり、ソグド人の末裔ではないかといわれるヤグノブ人というタジキスタンの高地で暮らす人たちの暮らしぶりが取材されており、またもや大興奮。
唐代胡人俑展で出会った胡人俑の造形がずっと忘れられないのだ。
テレビにうつる人々は深目高鼻、まさしく駱駝をひいていたあの男性…?
ありがたく、面白く
楽々と坐したまま、苦労の結晶である研究成果を知ることができた幸せな一日だった。