ソグド人の泥俑にひかれて

地震があり、大雨が続いた。恐ろしいことが立て続けに現実に起こった。

 

おびえて萎縮していたが、ささやかでも自分ができることをしていこうと思う。

 

 

シルクロード唐帝国」(森安 孝夫著 講談社学術文庫)という文庫本を手にした。

唐代胡人俑展のときにたびたび解説に登場した「ソグド人」について触れられているようであり、カバー写真が「ソグド人の泥俑」とあったので、買ってきた。

 

序章でいきなり著者から顔面パンチを喰らった。

 

勝者によってつくられる歴史の歪み、確固としたものと考えられている人種、国民、民族というものの根拠のもろさ、西洋中心主義的な歴史の見方が極めて偏ったものであることなど、を著者は厳しく指摘し、読むものに目を覚ませと迫っている。

 

世の中の何に対しても、何の見識も覚悟も持たず、浮草のように暮らしている無学な私が読んでもよい書物かしらん、とちょっと迷ったけれど、ソグド人やほかの胡人のことが知りたいので読み進める事にする。

 

中央ユーラシアが人類史上で果たしたもう一つの大きな役割は、今から約3,000年前に遊牧騎馬民を生み出したことである。

遊牧騎馬民族ってそんなに歴史上重要な存在なの?

 

中国人=漢民族=農耕民・文明の人

遊牧民=戎、胡、野蛮な人=辺境の人 みたいな単純な思い方をしていた私にとっては、へぇって思うことがいっぱい続けて書かれている。

 

ほんの一部を私なりにまとめると(ちょっと違うかもしれないけれど)

〇河北省北部、山西省北部、陝西省北部、寧夏回族自治区甘粛省には農業と遊牧ができる土地が入り混じっていて、内モンゴル草原とあわせて、このような地帯に、匈奴、羯、鮮卑、氐、突厥、羌などさまざまな遊牧民集団が活躍していたこと。

〇農耕漢民族が主人で遊牧民族が客人ではなく、遊牧民族もまた一方の主人であったこと。

遊牧民と農耕民が交わるところこそ、「辺境」ではなく、歴史が生まれてきた中核地であったこと。

シルクロードとは東西に伸びる一本の道ではなく、東西南北に広がる結節点を持ったネットワークである。始点、終点のみが大事なのではなく、東西南北交易ネットワークとして捉えるのが適当である。

  

今までのイメージとはずいぶん違う気がする。

なにしろ、私が思う西域といったら

月の砂漠みたいな風景のなかで、

兵士が夜光の杯で葡萄酒をやけになって飲んでいる という昔々習った漢文をもとにした惜別の地だ。

それもきっと本当だっただろうが

 

 しかし、今や胡人俑展で見たようなたくましい馬や駱駝に乗ってたくさんの遊牧民が道なき道を行き交い、砂漠や草原の向こうに豊かな都市があらわれる活き活きとした生活の舞台にイメージが変わりつつある。

 

まだ、たった第1章だが、頭の中が書き換えられていって、とても爽快な体験だ。

暑さを忘れて読書する。