湯木美術館「金工の茶道具と釜の魅力」

金工ってどんなかな、とりあえず春季展行っておかなきゃ、と、軽い気持ちで湯木美術館を訪ねた。

 

 

作品から風格を感じるとはどういうことだろう。
ケースの中で格調高く見えるように展示され、キャプションがあるから、素人にはなるほどそのように見える。そうではあるが、最初のケースの前で、中の3点の作品の風格というか、風圧を受けたように、しばし足が停まった。

「古銅桔梗口獅子耳花入 (こどうききょうぐちししみみはないれ)明時代 14~15世紀」 青銅器を模したというエレガントな形の表面に、精緻な龍文が見える。黒いドレスに身を包んだ貴婦人のようだ。

「芦屋松竹図真成釜 (あしやまつたけずしんなりがま)室町時代 15世紀」
抑えめの金属光沢のある胴部に松竹の浮彫が伸びやかに広がっている。どっしりと気品あるたたずまい。

「砂張二重青海水指(さはりにじゅうせがいみずさし)明時代 15~16世紀」
砂張というのは銅に錫や亜鉛を加えたものだそうだ。この色を何といったらよいのだろう。使い込まれた仏具に同じ色を見たことがあるな。時間が(おそらくお手入れも)金属の渋い味わいを引き出している。

 

この会場には「砂張釣舟花入 中国・東南アジア 15~16世紀」という繊細な趣のある作品もあった。

あずき色の鉄さびに覆われてぶっくりとボリュームのある胴部が魅力的なお釜もあった。お茶の釜というのは、産地によって形や肌の特徴があり、名前でわかるらしい。

そろそろ覚えなくては。

 

蓋置や火箸、金工と陶芸、漆芸の組み合わせによる作品もあり、精妙な手仕事やデザインを楽しめた。

 

作品から何かを感じるとは、自分の内面の話とはいえ、多くの人が同じものを見て、同じように美しいと思うのだろうと単純に思っていた。
しかし、お茶道具はそう簡単ではないなぁ。一見してきれい!とかいうものでもない。一筋縄ではいかない。反応する脳の部位がちょっと違うかもしれない。

 

この美術館では何気なく、すごいものが展示されていることがよくある。以前、ふと見た掛物が重要文化財の「石山切」で驚いたことがあった。
今日も、最後に思いがけないものに出会えた。
「禾目天目(建盞)南宋時代 12~13世紀」禾目がきれいに入って、銀の覆輪がかけられた端正な天目茶碗 

「井戸脇茶碗 銘長崎 朝鮮時代 16世紀」橙がかった浅い黄色の釉色の上に、金継が実に見事に柄みたいに入っている。
どちらの茶碗を見ても、うっとり。

 

私の日常は安物に囲まれている。人生ずっとそうであっても、一級の美術品を鑑賞できる機会があれば幸せだ。