図録「小森忍の陶磁器Ⅲ」~江別市セラミックアートセンター

北海道江別市にあるセラミックアートセンターという美術館から、「小森忍の陶磁器Ⅲ」という展覧会図録を送っていただいた。

 

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数年後に北海道の実家に戻るつもりだが、大阪近隣の美術館に行けなくなる、これは私にとってはいちばん辛いことだ。実家といっても引っ越ししているので、未知の土地であり、勝手はわからない。ネットで周辺の美術館を探していたところ、何とありがたい、陶磁器の美術館があるではないか!


江別市セラミックアートセンター」そのウェブサイトをのぞくと、
やきもの作品の展示や、小森忍という方の展示室、レンガの展示もあるねぇ。陶芸教室も開かれている。素敵な施設、私にとっては希望の光だ。
早速、開催中の展覧会「小森忍 新収蔵品展」の図録を申し込んだ(緊急事態宣言発令のため、現在休館)。

現金封筒を送付すると、図録とともにリーフレットや施設のパンフレットも併せて、すぐに送ってくださった。

  

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図録のはじめに、小森忍についての調査研究や作品の収集公開はこのセラミックアートセンターの中核事業であるとのこと。
まず小森忍とは、どんな方なのかな。


図録から教えていただくことにしよう。
(「発刊にあたって」「小森忍について」「小森忍略年譜」から引用させていただきます。)
明治22年(1889年)これもまた何と大阪市東区徳井町に生まれた人。京都市立陶磁器試験場を経て、南満州鉄道株式会社に入社し、辞職後、小森陶磁器研究所(匋雅堂窯とうがどうよう)を大連の満鉄窯業試験工場の一部を借用して開いた。中国、朝鮮の窯場や古陶磁を調査し、再現不可能といわれた中国古陶磁釉の解明・再現に努めた。昭和3年、小森陶磁器研究所を愛知県瀬戸市に移設し、窯名を山茶窯(つばきがま)とした。その後、活動の場所を府中窯(三重県阿山郡)、北斗窯(北海道江別市)へと移した。
満州から江別まで、各地で功績を残し、珠玉の倣古作品や建築材料を生み出し、終生陶磁器研究に邁進した。昭和37年(1962年)73歳永眠
工業的芸術的な高品質の作品を大量かつ均一的に生産することを目指した方針に沿って研究を進め、科学的な根拠に基づき製陶を行い、日本陶芸のあり方を近代化に導いた。河井寛次郎濱田庄司にも大きな影響を与えたといわれている。

わぁ、すごい方なんだ。
図録の作品は まさに「珠玉」という言葉がぴったりだ。
黒釉、瑠璃釉、紅釉、柿釉、トルコブルー、青磁、三彩、辰砂など、釉薬が自由自在に美しく発色して器を覆っている。玉のような、ガラスのような、金属や鉱石のような多様な質感も表現されている。さまざまな窯の作品を研究されたのだろうなぁ。そして、北斗窯の作品の中には、倣古の中にアイヌ文が取り入れられているものがあって、デザイン性も追求されていたのだろう。


青い鈞窯手の盃や瑠璃宝玉釉の瓶など実物はどんなだろうか、写真を飽かずに眺めて楽しんでいる。

いつかきっと実物を見に行こう。