奈良の大和文華館を訪問。建物を囲む庭園では山茶花が枯れ始めて、晩秋の様子だ。歩くだけでも気持が良い。
特別企画展「文字の魅力・書の美」が開催されている。
書って、むずかしい、と思う。日本語であっても読めないことも多い。
ただ、尾形乾山のやきものが見たくて訪ねる。
さて、どこでお会いできるかな、と思ったら、嬉しいことに入ってすぐの場所に展示されていた。
「光琳筆銹絵菊図角皿」尾形乾山作 江戸中期
江戸時代のスーパースター兄弟の手によって、あっさりと出来上がっているように見える。
落款がきれいで、本当に紙に描いた絵のような書のようなやきもののような…
書と詩と絵とやきものが一体だ。知的な遊び心と情趣豊かな世界。素敵だぁ。
最初にお目当てのものを拝見したので、あとはゆっくり文字の芸術に向かう。
私にはほとんど何が書いてあるのかわからないものばかりだ。訳があっても、さらに現代語訳が必要だ。
しかし、たとえ意味が分からなくても、写経切からはひたすらに祈る気持ちが伝わってくる。
ひらがなであれば、かなの繊細さ、はかないような優しさが見える。
尾形光琳の上嶋源之丞宛書状は、文字がリズムをもって並んでいる。絵画を見るように鑑賞できる。
「墨蹟 法語」虎関師錬筆 日本南北朝 重要文化財
鈍な私でも、これは素晴らしい書だと感じた。
本阿弥光悦の新兵衛宛書状は漆作品について制作上の指示書みたいな内容らしいのだが、何だか惹きつけられる書体。
墨梅図冊 汪士慎筆 中国 清時代
画と書が調和している(と私には思われる)作品
とにかく理解できないながら一生懸命眺めて、使われている紙や、のちの人がつけた表装も鑑賞した。
百人一首色紙貼(松花堂昭乗筆)のように、金銀の箔を散らした贅沢な紙に美しい文字がしたためられたものを大事にしたり、あるいは古い書状を軸にしてお茶室で楽しんだり、と、ゆかしい伝統だ。
昔は私も人の筆跡を大事にしていたけれど、もうすっかりそのような感覚は忘れてしまった。
今頃は手書きの手紙(へんな表現だが)を書くこと、いただくことすら珍しい。
退化しているね。
文字や書をもう少しわかって味わいたいものだ。いっぱいいろいろ見るしかないか。
というわけで、気持ちの上で今まで敬して遠ざけていた書や茶道についての展覧会があればこれからはお伺いしていこう。