奈良国立博物館で青銅器を鑑賞したのち、「古代中国」(貝塚茂樹・伊藤道治著 講談社学術文庫)を読んだ。
この本を読むのは2回目だ。
学術文庫の内容は私にとっては、とても難しいのだけれど、この本では漢字文明の始まりの頃の歴史についてわくわくしながら読み進めることができた。
青銅器の実物を鑑賞してから再び読むと、なおいっそう面白い。
わずかでも本物に出会った体験によって、書物の言葉が色彩を帯びてくる。
青銅器を見たついでにといってはおかしいけれど、「玉」についても見てみたい。
美しい青磁をたたえる言葉「玉の如し」とはどんな見た目をいうのかしらん。
折良く玉器の展覧会が開かれている。
和泉市久保惣記念美術館で9月1日から開かれている「玉器とガラス器」展を訪ねてみよう。
ゆったりとした敷地の中、池とお庭を眺めながら新館と本館を行き来できるようになっているとてもすてきな美術館だ!
まず本館で玉器というものに初めてお会いする。
簋(き)だ、卣(ゆう)だ。青銅器で学んだ器の名称だねぇ。
殷時代の斜線文簋
半透明であったであろう器の肌は年月を経て粉っぽくなり、汚れてみえるが、捧げものを容れる大切な器という気が伝わってくる。
青銅器から受けるのと同じような空気だ。
帯や刀につける小さな飾り、イヤリングなどもとてもきれいだ。
なかでも珌(ひつ)という剣につける飾りの繊細な彫りに魅了された。
とても霊力のあるお守りにもなって心強かったことだろう。
琮(そう)という玉器のかたちは中国のやきものの図録や展覧会でこれにならった作品を見たことがある。
殷周の時代の器のかたちを、千年以上ものちの時代の人々が倣っていたこと、そういった伝わり方も知りたい。
この展覧会ではヨーロッパのガラス器も展示してあり、またほかにも展示室がいくつもあったのだけれど、私の集中力はすぐに尽きる。
玉器を十分堪能したあと、青銅器を見に、すがすがしい緑の小径を抜けて新館へ向かった。
新館の展示室1には青銅器のみならず金工品、陶磁器などが多数展示されていて、見ごたえたっぷり。
奈良に続けて青銅器を鑑賞することができて幸せだ。かたち、文様、だんだんなれてきましたね。
戈(か)という武器はなんだかこわいような迫力がある。
特に饕餮文のはいったものは何か魔物がついているようで凄みがあって好きだなぁ。
「玉器」と「青銅器」 古代の中国文化にちょこっと触れられて本当に良い体験をした。
陶磁器の鑑賞にも見るポイントが増えるだろうし、知りたいことが増えて楽しみも増してゆくようだ。