連続講座を受講する(第2回)

急な事情で引っ越した。

引っ越しの前日、荷造りをほったらかして連続講座の2回目を拝聴するために東洋陶磁美術館へ走った。

「中国出土の高麗青磁(仮題)」小林仁先生

遅刻して失礼してしまい、当日の本題名は聞き逃してしまった。

 

お話を聞き始めると、引っ越しのあれやこれやがすっと頭から消える。

中国各地から出土した高麗青磁の美しいかけらが次々と紹介された。

釉色や彫りの模様がきれいな破片はこれがいったいなんであったろうと思わせ、謎めいていて心惹かれる。

 

高麗青磁が出土した地点が表されている地図のプリントもいただいた。

(重要な地点、出土品)

北方では

〇高麗からの移民が住んだ遼寧省

〇元が高麗を支配した時代に献上品あるいは貿易品として高麗青磁がもたらされていた北京(元大都)

〇河北省石家庄市后太保元代史氏墓(元に使えた名門の漢人の墓)→象嵌雲鶴文梅瓶

内蒙古自治区の集寧路古城遺跡→神亀形水滴

〇南方では国際貿易港の寧波

南宋の都 杭州 など

 

恭聖仁烈皇后楊氏(南宋第4代皇帝の皇后)の邸宅遺址などの南宋宮廷関連の遺跡から、汝窯南宋官窯、定窯の白磁などとともに高麗青磁の破片が出土する…。

 

すごいなぁ。高麗青磁は最高レベルのやきものとして、宋時代、中国の貴人に愛されていたんだ。

 

そのようなやきものが南宋の宮廷では日常的に使用されていたのだろうか。

きっと汝窯の器は飾っておいて、食器としては定窯の白磁や、高麗青磁を使っていたのではないかしら。両者ともにエレガントでありながら、いろいろな食材に合いそうで、実用的な感じがする。

勝手に、楽しく妄想しながらも、お話と写真に没頭する。

 

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白い象嵌の上に施された金彩という技法の青磁もとてもおしゃれで華やかだ。

金であらわされて美しかったはずの模様は、もはや剥落してしまって、その名残が見られるだけであるけれど。

 

それにしても、それほど愛されていた高麗青磁の伝世品が少ないのはなぜだろうか。

高麗のひとびとはどこへ行ってしまったのだろう…

 

いや、むしろ現代の日本で高麗青磁や宋磁の完成品を鑑賞することができることこそ、奇跡なのかもしれないな。

 

当時生きていたとしても王侯貴族でなければ目にすることができなかった宝を親しく鑑賞できるのは本当に喜びだ。

 

古代のやきものの美に心躍らせる夢の時間はあっという間に終わって、現実にひきもどされる。折り合いをつけるのは、いつも難しい。