年末年始は久しぶりに宮城谷昌光先生の小説を読みふけった。
読み始めるといきなり、はるか遠い昔、古代中国の世界にほうりこまれる。あの感じは、唐代の俑たちに出会ったときの感覚に似ている。
1300年も前に作られたという俑たちの前に立ってみると、比べるもののない造形表現に魅せられて、胸騒ぎを覚えるような、酔ったような夢の時間が過ぎる。
一瞬をとらえた身体表現、視線さえ感じさせる豊かな表情、着衣のみならず体毛まで描きこまれた細かい筆遣い…とにかく実際に見ていただくしかない。
しかも、東洋陶磁美術館の展示室は、美しい光の中でゆったりと作品が立っていて、展示空間としても素晴らしい。
まあ、しかし、ここでちょっと夢から醒めてこのたびの展覧会のキーワードを図録「唐代胡人俑~シルクロードを駆けた夢」から教えていただこう。
俑:来世でも生前と変わらぬ生活を送るようにとの願いをこめて、死者とともに墓に埋葬された副葬用の人物像のこと。春秋戦国時代から明清代まで用いられた。
胡人:中国の北方や西域、南方などの非漢民族の人々を指す総称。
それぞれの胡人俑の具体的な民族や出身地などの特定は困難とのこと。
外見や習俗が漢人と異なっていることで、胡人はおおいに当時の人々の関心を引き、俑においても胡人が生き生きと写実的に表現されたのではないかと推論されている。
なるほど、図録にもいくつもの(穆泰墓以外の)胡人俑の写真が掲載されている。ネットの画像もさまざまにあって興味深いが、このたび展示されている俑たちほど、秀逸なものは素人目にもなかなか少ないのではないかと思われる。
穆泰墓:甘粛省慶陽市慶城県で2001年4月に基礎工事の際に発見された唐の游撃将軍穆泰(ぼくたい)の墓。開元18(730)年に葬られた。
墓室は正方形で、一辺の長さは3.54メートル、出土文物は加彩陶俑、動物模型、陶器、墓誌、銅鏡、開元通宝 89点(発掘当時の報告)
当時の都、長安からはそれほど遠くないところ
墓誌:出土した墓誌から、墓の主が開元17(729)年に70歳で亡くなり、開元18(730)年に葬られた游撃将軍穆泰であることがわかった。
四角い身と蓋でできたやきものの身のほうの内側に、白い加彩で文字が記されている。最後の2行が書ききれなくて、蓋との接地面にまではみ出ているって、ちょっと面白い。
穆泰について:穆泰の一族は鮮卑族(遊牧騎馬民族)出身ではないかという説がある。駱駝や馬が身近にいる生活とつながりが深そうだ。
従五品下という身分で、それほど高い身分ではないのだそうだ。
お墓の大きさこそこじんまりしている感じだが、身分が高くない人のお墓からこんなに素晴らしい芸術的名品ともいうべきものが出てくるとは、何と不思議なことだ。
見るのも、知るのも楽しい。次の連続講座第2回「中国陶俑の世界」も待ち遠しい。
展覧会が終わってしまえば、このようなものには、もう二度と会えないだろうなぁ。
「陶説」12月号 美術館で買うことができました。